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タイトル
伝説のレーサー片山義美
     
■1940(昭和15)年5月15日 兵庫県神戸市に生まれる。
     
  ■日本有数の貿易港、神戸を望む六甲山において、4年間1日も欠かすことなく自らに猛特訓を課し、“六甲伝説”として後の世に知らしめた「怪童」片山義美は、やがて世界のモータースポーツシーンを席巻、世界中にその名を轟かせる。  
     
  ■1960年、2輪ライダーとして国内のレースに初参戦。プライベーターとしてデビューした初レースで、強豪ワークス勢を全く寄せ付けず3位以下をすべて周回遅れにしての優勝、いきなり日本チャンピオンの座を獲得するという偉業を成し遂げる。続く第1回鈴鹿日本グランプリにおいても優勝。
 
     
  ■1962年より、スズキ・ワークスチームより、世界グランプリに参戦。日本グランプリ、西ドイツグランプリ、フランスグランプリ、ダッチTT等、数々のレースで優勝。また、シンガポール国際レース等、数々の海外主要レースを制する。このころよりマン島にも出場、そこでの活躍は世界の賞賛を浴び、片山義美の名を確固たるものにする。後の1967年、ベルギーグランプリで記録したコースレコードは、その後5年間、何者をしても塗り替えることができなかったのである。その間、国内の二輪レースで勝ち獲った勝利は数知れない。
 
     
  ■1964年、2輪の世界に身を投じた片山は、マツダのチーフドライバーとして国内の主要レースに参戦、その大胆にして繊細なるドライビングテクニック、卓越した車両開発能力及び明瞭的確なレース戦略が三位一体となり、数多くのレースを制覇。やがてサバンナRX−3を得た片山は、ついに浮沈艦隊・スカイラインの50連勝を阻み、ロータリー100連勝を成し遂げ、国内ツーリングカーレースにおいて、ロータリーの黄金時代を築きあげた。
 
     
  ■その後、1977年からカタヤマレーシングよりマーチ75S・マツダで、1984年にはトラスト・レーシングチームよりポルシェ952で富士耐久レースに参戦、シリーズチャンピオンを獲得。
海外のメジャー・レースでは、1990年までに6度、マツダワークスよりチーフドライバーとしてル・マン24時間耐久レースに参戦、後の787Bによる国内ヤ唯一の総合優勝に多大なる貢献をしたほか、デイトナ24時間レースに3回、スパ24時間耐久レース2回、ニュルブルクリンク84時間レースに2回参戦。また南アフリカセルスプリングにも参戦、多くの上位入賞を果たす。
 
     
  ■1991年にレーシングドライバーとしてのポストを引退したが、その後も現在に至るまでマツダ株式会社にて新型車両開発のコンサルタントとして、また、同社テストドライバーのインストラクターとして活躍、その天才的ドライビングテクニック、正確無比なマシン開発能力はまだまだ衰えるところを知らない。
 
     
  ■そして2003(平成15)年5月5日、あらたに有限会社カタヤマヨシミプロモーターを設立。
 
     
  ■世界を勝ち抜いた片山義美のフルネームを社名に掲げて展開する弊社の今後に、どうか期待していただきたい。  
     
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